書評 book review 2003 8 31

本日(8月31日)の読売新聞の書評欄16面を読んで感じたことがあります。
「イスラム社会はなぜ没落したか?」の書評です。

 私は、
「西欧の終わり」を心配し、
「西欧の終わり」のソフトランディングを祈っている者として、
この書評については、同感です。
私も、この本を読んだ最初の感想が、「古色蒼然としている。」ということだったのです。

 いずれ、「西欧の終わりに」という本を、誰かが書くことになると思っています。
知性というものは、いつの時代も大切であるが、
知性をはるかに超えた力があることを知らなくてはならない。
また、どんなに優れた知性も、迷路に入ってしまえば終わりです。

 仏教に、「正見」という教えがあります。
これは、「物事を正しく見る」という教えですが、
どうしても、人間というものは、生まれ育った環境や教育によって、
先入観や固定観念という色眼鏡がついているのです。
 ですから、色眼鏡をしたままで、世の中を見れば、正しく見えません。
いったん、すべてを白紙に戻して、物事を見ることが大切です。
白紙に戻して物事を見るとは、自分の持っている学歴や名声というものを、
いったん捨ててから、物事を見るということです。
学歴、名声、名誉、これらをなかったものとして、すべて捨て去るのです。
 しかし、年を取れば取るほど、これができなくなるのです。
学歴、名声、名誉にしがみついて、
これらがなくなれば、自分は終わりだと考えてしまうのです。
 だからこそ、天国から、お迎えがくるのです。
もう生きていても、自分を変えることができない。
あと何年生きていても、もう変化なし。
これを老人と言いますが、
このように判断されて、天国から、お迎えがくるのです。
しかし、天国に行く時は、
学歴、名声、名誉はもちろん、名刺、お金、
このようなものは、一切、持って行くことはできません。
むしろ、天国に行く時に、このようなものを持っていては、邪魔になってしまうのです。
これが、重しとなって、なかなか浮上できなくなる可能性があります。
 欲を持つのは、50才までです。
50才を過ぎたら、自分の資源を社会に還元すべきです。
 しかし、ものの見方を、常に、白紙に戻すことができれば、
永遠の若者もあり得ます。